生活とビジネスの拠点を変えると世界の地図が変わる 〜信州の工芸品リブランディングから得られたもの〜

 松代焼、戸隠の竹細工、飯山の仏壇、栄村の猫つぐら、南木曾の蘭檜笠(あららぎひがさ)……  これらはいずれも長野県の代表的な伝統的工芸品です。いま、これら信州の誇る工芸品のリブランディングに取り組んでいるのが、軽井沢在住のニューホライズンコレクティブ(NH)メンバー福井常晶さんです。 一見ブランディングやマーケティングとは馴染みの薄そうな伝統工芸品の世界ですが、それらの伝統産業は現在どのような経営環境に置かれ、そしてマーケターには何が求められているのでしょうか? 福井さんにお話を伺いました。 (写真:福井常晶さん)

リアドライブ合同会社
マーケティングコンサルタント

福井常晶

福井常晶さんのプロフィール:
ストラテジック・プランナー、マーケティング・コンサルタント。電通時代に自動車、家電AV、アルコール飲料を中心にキャンペーンやマーケティング施策を企画・実施。輸入車のプレミアムブランドから缶酎ハイまで、ブランドの状況に合わせたブランディング知見が豊富。電通の消費者研究プロジェクト、Dentsu Desire Design主要メンバー。趣味・好きなこと:自動車、競馬(一口馬主)、犬

「知る人ぞ知る」の「知る人」を少しずつ増やしていくスピード感

 福井さんにお会いしたのは紅葉シーズンも終わろうかという晩秋の軽井沢。駅の改札を出て隣接するスキー場の方を見ると、そこにはもう何人かのスキーヤーの姿が見えます。県内の伝統的工芸品の主な製造元を訪ね、実地のヒアリングを重ねているという福井さんは、この日も朝から長野市松代の松代焼の窯元を訪ねてヒアリングしたのち、とんぼ返りで軽井沢に戻ってきたところでした。 − 松代という土地は、古くは真田家ゆかりの松代藩領/松代城下であり、さらに遡ると武田信玄と上杉謙信が激突した川中島の古戦場にも近いため、歴史好きには有名な場所です。その他にも松本や飯山など信州の観光スポットを巡るというのはいかにも楽しそうなお仕事の印象ですが(笑) 「いえいえ。長野県には現在、経産大臣指定と長野県知事指定を会わせて28の伝統的工芸品がありますが、何しろ広大なので県内各地に行くのも結構大変です。例えば轆轤(ろくろ)細工で有名な南木曾までは軽井沢から片道160km以上。車で往復するだけでも結構時間がかかるんですよ」 − 信州の伝統工芸が直面している課題とは、具体的にはどのようなことなのでしょうか? 「やはり喫緊の課題は後継者の育成ということになります。しかしそれ以前に、工芸品の製造業が事業としてうまく回っていることが不可欠です。そうでなければ後継者を呼んできたとしても定着しません。たとえば松代焼の場合、定期的に陶芸体験会を実施しているのですが、そのイベント自体の認知がまだまだ。まずは県内のメディアにイベントの紹介をしてもらう、といったことからのスタートになります」 − 今回の伝統的工芸品のリブランディングについて、具体的な方向性はあるのでしょうか? 「伝統的工芸品がなくなってしまうから救おうという文脈ではなく、知らなかったけれど使ってみたらよかった、気に入ったという発見を創ることが重要です。もちろん工芸品のほとんどがマスプロダクトにはなりませんから、知る人ぞ知るということでよいのです。しかしその『知る人』が少しずつ増えていくということが大切だと考えています」 (写真:松代焼体験会で使われている轆轤(ろくろ)

地方にはサプライチェーンに依存しないビジネススタイルがある

− 企業にいるとちょっと扱いづらい規模感、スピード感のように見受けられますが、やはり地方の仕事は「労多くして…」という感じなのでしょうか? 「民芸品の製造業を甘く見てはいけません。結構進んでいるのです(笑) 伝統的工芸品の中には現代的なビジネス感覚をもった経営者もいて、ブランディングもできていて、むしろ今の時代、逆に工芸品の現場に様々なビジネスのヒントがあります」 「例えば戸隠の竹細工、南木曾の轆轤(ろくろ)細工などは直接エンドユーザーと繋がっていますし、調達に関しても自ら山に入って木を切ってくるところからやります。すなわちサプライチェーンに依存しないビジネススタイルなのです。ゆえに外部環境の影響を受けにくいという強さもある。顧客と直接向き合い、変化も怖れません。例えば県内には松本市、上田市、飯田市など紬(つむぎ)の産地がいくつもありますが、それぞれが小規模なため伝統的工芸品として成立しづらいとなると、全県の産業を信州紬として再編して指定を受けるといったしなやかさもあります」 − そのような伝統的工芸品産業に必要なサポートはどのようなものでしょうか?  「逆に長野県出身ではない自分ができることとしては、県外出身者の視点を入れ込むことです。地元の方々と話していて感じるのは、伝統的工芸品に囲まれて育つと、あるのが当たり前になってしまって、それらに特別な価値を見出しづらいということです。外の人間だからこそ分かる良さがある。その地方の工芸品の中に(ビジネス的な)強みを見出すことができればと思っています」 (写真:奈良井宿の街並 福井さん撮影)

コロナを機に軽井沢に移住 しかし実際は愛犬たちのため

 そもそも独立起業を機に、福井さんはなぜ軽井沢に移住したのでしょうか? 「独立に関してはかなり以前に、会社員だった親友が介護事業に転身、独立する様子を見て、いつか自分も個人で事業をしてみたいと思っていました。そんな折に電通がライフシフトプラットフォーム(LSP)とNHの構想を発表したので、今だと決心しました」 「軽井沢の家は元々親の持ち家でした。生活拠点をこちらに移したのはNHで独立するより前で、コロナ禍によるリモートワークの増加が後押ししてくれた感じです。やはり東京在住で休日に軽井沢で過ごしていた時より、こちらに実際に住んでから県民意識も強くなってきた感じがします。この仕事で飯山や松代などに出向くと、そこの生まれではなくても故郷のような感覚を覚えたりもします」 「実のところ、軽井沢は我が家の愛犬たちにとって最高の場所なのです。元々が犬に優しい土地柄ですが、逆に景観保持のため、家の周囲に塀や壁を作ってはいけないなどといった制限もあります。幸い我が家は庭に犬たちの遊ぶスペースを作ることができたので、大自然の中で犬たちも喜んでいます。軽井沢は冬になると相当冷え込みますが、我が家の犬たちは犬種的に寒さには強いものですから」 (写真:愛犬たちといる時の福井さんは全く別の表情に)

独立して気づいた、移住とリモートワークの違い

 福井さんの独立・軽井沢移住と前後して、2020年には新型コロナの流行によるリモートワークが一気に増加しました。同じように軽井沢でリモート中心で仕事をするにしても、会社員時代と独立後という異なる2つの環境下では仕事的に大きな違いがある、と福井さんは振り返ります。 「もし独立せず会社に残っていても、今もコロナ禍のリモートワークは軽井沢を中心にしていたと思います。しかし会社に残っていたら、それまでのような東京の人間関係の中でしか仕事をしていなかったでしょう。やはり大きな組織で地域を跨いだ仕事をするには、手続など大仰な話になりがちです。その点、NHは同じグループに全国各地に拠点を持った人と気軽にやり取りができ、エリアの垣根というものがないと実感します」 「顧客についても、大きな企業は何かと事情論や内向きな話も多かったりするのですが、小さな企業にはそういったしがらみがない分、判断が速い。28件の伝統的工芸品について、行政は足並みを揃えるために最後尾を見ていますが、その間に前を走る企業は自走している。ブランディングに関しては足並みを揃える必要はなく、先進的な地元企業と成功事例を作っていくことが重要なのです。その仕事のスピード感から考えて、今回の案件はまさに個人事業主として軽井沢に住居を移したからこそ応札できた仕事だと思います」 (写真:南木曽ろくろ細工 カネキン小椋盆製作所製木製スピーカー)

拠点を作る=拠り所(よりどころ)から仕事を広げていくリアリティ

 今後も電通時代に培った知見を適用し、地方自治体や企業に貢献する事例を作っていきたいと語る福井さんは、今回の仕事を通じてある構想を持つに至りました。 「地方の課題に個別対応するだけでなく、その地方を拠点とするメンバーが連帯して対応するような、いわばNHの機能拡張ができればと思います。例えば我々のような長野県にゆかりのあるメンバーが集まって長野チームを作るとか…(筆者註:ちなみに筆者は長野県出身)」  同じ拠り所を持つNHメンバーが集まることで、新たな地域貢献の機会があるという福井さんの構想の背景には、「住む、行く、見る、話す」といった身体感覚的な主体性を共有できるライフシフト的生き方が垣間見えます。 「拠点とは拠って立つところ、そこから行けるところに仕事を広げていくための基点です。その拠点を移すということは、ビジネス地図上の『ピンをずらす』ということであり、ずいぶん世界も変わって見えるものなのです」  最後に福井さんは、飯田市で水引を製造している企業の社長さんと交わした興味深い会話を披露してくれました。 その社長さんは、とにかく飯田は交通の便がよいと仰るのですが、何しろ飯田市は県庁所在地の長野市から高速道路でも2時間以上、特急では4時間もかかる県の南端です。東京から行くなら直通の高速バスでも4時間、電車ならまず東海道新幹線に乗って名古屋で乗り換えて行くような場所です。てっきりリニア中央新幹線の開通を見据えた話かと思いながら聞いていた福井さんに、その社長さんはこう続けたそうです。 「何しろ名古屋が近いし、セントレア(中部国際空港)や小牧(名古屋飛行場)からすぐアジアにも飛べるから」  飯田市から世界を視野に伝統的工芸品を製造販売している企業にとって、もはや地図の中心には長野市も東京も位置していないのかもしれません。福井さんの話を聞いて、何か世界地図がメルカトル図法から正距方位図法に変わっていくような不思議な感覚を覚えながら、「ピンをずらすとそこから世界が変わって見える」という先ほどの言葉を改めて思い出しました。 (写真:飯田の水引細工によって精巧に作られた鎧兜 福井さん撮影)

取材と文:山内 龍介