2023.05.08

キャンペーンではなく、これは国民運動。「ニッポンフードシフト」が今シフトさせているもの。【後編】

前編から続く)


クリエーティブディレクター、コミュニケーションディレクター

石原夏子

石原夏子さんのプロフィール:
人の「好き」の気持ちを活かしたコミュニケーション設計と企画を行うクリエーティブディレクター・コミュニケーションディレクター。デジタル・SNS、音楽・お笑い・食などのコンテンツの掛け算が得意です。著書に「偏愛ストラテジー」(実業之日本社 2018年)。

考えてもらうだけでいい

―「カレー」というテーマが出たときどのように思われましたか? 小峰参事官「Z世代に向けてのアプローチとして決めたのは、食の問題について‘特定の方向に向かわせる’ということではなく、まずは‘考えてもらう’だけでいいということでした。そういった意味でカレーはそれを端的に集約できるものだったと思います。あの動画 は、デザインをグルーヴィジョンズにお願いして制作しましたが、カレーを題材にその背景にある原材料がどうなっているのかを知ってほしいというだけで、あとは自分で考えるって仕組みになっているんですよ。きっかけだけ与え、気づいた後は自分たちで考えてもらうほうがよいと」 今回の組織的な座組としては推進主体として農林水産省。電通が受注しNHメンバーである石原さんに声がかかったのは2年目。これまで記したようにプロジェクトは明確な方向性が最初から決まっていたわけではなく、農水省と電通・NHが議論に議論を重ね徐々に骨格が定まってきたものだ。どちらがリードしてということではなくお互いに意見をぶつけ合いながら進められていく状況は、チームとしてまさに官民一体を具現化しているのではないかと思われた。いや、ひとつの目的へ向けて進む熱量の中においては官とか民とか区別することすらもはや意味をなさないのかもしれない。推進パートナーである企業やメディアへのアプローチ・調整も手分けして行うし、また演出的にも非常にクオリティの高い件の動画制作については、 「みんなでアイデア出しはしましたが、スクリプトからなにから実際のクリエーティブディレクターは小峰さんでした」 と石原さんも楽しそうに振り返る。

ニッポンフードシフトのゴール

「この仕事は例えば広告を1本作って終わりということではなく、売上の目標を達成したらOKということもなくって。様々な施策を通してたくさんのプレイヤーが入ってくる、効率性では測れないまさに国民運動なんです。そこが面白さですね(石原)」 筆者はこのニッポンフードシフトのゴールはどこにあるのでしょうかと、小峰参事官に尋ねてみた。 「もちろん運動の認知度を高めることが、食への意識を高めることになるのですが…」 と返された後しばし黙考し、 「これ、ゴールはないんですよ」 と答えてくれた。つまり何か数値的なものが達成されたらそれがゴールということではなく、人々の意識のレベル変位の話だということなのだ 。 今回電通の企画メンバーとしてプロジェクトに参加した坂井田直幸コミュニケーション・デザイナーはこの運動の価値について以下のように語る。推進パートナー企業である日本航空のコンテンツで実際にZ世代の人に登場してもらい、カレーの具材の生産現場を体験してもらっていた時のことだ。 「実際に現場を目の当たりにしたときに、彼らが‘変わる瞬間’が見えるんです。そこが醍醐味でしょうか。大人から一方的にメッセージを伝えるのではなく、自ら感じとる余白を残しながらコンテンツを今後も増やしていく。そうしていくことで運動がしっかりと見えてくるのだと思います」

シフトとは

さて冒頭にも述べたが、今回石原さんはクリエーターの立場で、またマーケッターの立場で輻輳的に提案に携わっている。このことについて、 「それぞれの部署から一つの専門性に特化した人が別々に提案されるよりも、分業制をはみ出して柔軟に提案できる方が中心にいてくれたことがとてもよかったと思う」 と小峰参事官は評価する。失礼な話ではあるが筆者は官僚こそ縦割り組織というイメージを持っていたので、その中枢にいる方からこのような「はみだし」性への評価があることに新鮮な驚きを覚えた。 「霞が関から、官僚的でだめだって言われたくないと思うけど」 といたずらっぽく笑う。 独立しNHメンバーとなり、これまでの経歴を存分に生かしながら今ここに仕事と向き合う石原さん。国の主導する巨大なプロジェクトの中で、しかしそれは結局人と人との信頼と共鳴の関係性の中でのみ推進されていくことを実感している。 今回目を引いたのは農水省の若い職員たちまでが自ら様々なイベントに参加し、情報の発信に一役買っているということだ。インタビューの際、同席した農水省の若手メンバー岩堀大河さんが印象に残ったのは、 「特にカレーのラップバトル選手権ですね、よくあんな発想が出てくるよなあと。今回携わって食に関する意識、仕事に関する意識、自分自身もシフトしていったと感じているところです」 と嬉しそうに話した。 官民が連携しニッポンフードシフトがシフトさせているものは、もしかしたら食に限られたものではなく、これからの日本の未来そのものなのかもしれない。

ライター黒岩秀行